中島敦の略歴

中島 敦(なかじま あつし、1909年(明治42年)5月5日 – 1942年(昭和17年)12月4日)は、日本の小説家。代表作は『山月記』『光と風と夢』『弟子』『李陵』など[1][2][3][4]。第一高等学校、東京帝国大学を卒業後、横浜高等女学校の教員勤務のかたわら小説執筆を続け、パラオ南洋庁の官吏(教科書編修書記)を経て専業作家になるも、同年中に持病の喘息悪化のため33歳で病没[5][6]。死後に出版された全集は毎日出版文化賞を受賞した[6][7]。
その短い生涯に残した著作は、中国古典の歴史世界を題材にした作品や、南島から材を得た作品、古代伝説の体裁をとった奇譚・寓意物、自身の身辺を題材にした私小説的なものなど、未完作も含めわずか20篇たらずであったが[1][8][9][10][11]、漢文調に基づいた硬質な文章の中に美しく響く叙情詩的な一節が印象的で、冷厳な自己解析や存在の哲学的な懐疑に裏打ちされた芸術性の高い作品として評価されている[1][2][3]。
特に遺作となった『李陵』の評価は高く、死後に名声を上げた作品のひとつとして知られている[12][13][1]。また、『山月記』は雑誌『文學界』に掲載されたことで中島敦の名を初めて世間に知らしめた作品であり[1]、のちに新制高等学校の国語教科書に広く掲載され、多くの人々に読み継がれている[14]。なお、自筆資料や遺品は神奈川近代文学館の「中島敦文庫」に所蔵されている[15][16][17][18]。

中島敦の名言・座右の銘

人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、何事かをなすにはあまりにも短い。