坂上田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)の略歴

坂上 田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)は、平安時代の公卿、武官。名は田村麿とも書く。姓は忌寸のち大忌寸、大宿禰。父は左京大夫・坂上苅田麻呂。官位は大納言正三位兼右近衛大将兵部卿。勲二等。贈従二位。
忠臣として名高く、桓武天皇の軍事と造作を支えた一人であり、二度にわたり征夷大将軍を勤めて蝦夷征討に功績を残した。薬子の変では大納言へと昇進して政変を鎮圧するなど活躍。死後は平安京の東に向かい、立ったまま柩に納めて埋葬され、軍神として信仰の対象となる。現在は武芸の神や厄除の大神として親しまれ、後世に多くの田村語り並びに坂上田村麻呂伝説を生んだ。
坂上宝剣では坂家。



坂上田村麻呂の名言・座右の銘について

坂上田村麻呂の名言・座右の銘1

この方法で人を殺すことは、百万人でもたやすいことなので、ぜひ征討を命じてください。