本田圭佑の略歴

本田 圭佑(ほんだ けいすけ、1986年(昭和61年)6月13日 – )は、大阪府摂津市出身のプロサッカー選手。ポジションはFW・MF。ボタフォゴFR所属。元日本代表(ナショナルチャレンジャー)。サッカー指導者。カンボジア代表GM・監督。サッカークラブ経営者。日本の実業家。

オランダ(ヨーロッパ)・ロシア(ヨーロッパ)・イタリア(ヨーロッパ)・メキシコ(北中米)・オーストラリア(オセアニア)・ブラジル(南米)と言った6大陸中5大陸のクラブでプレーし、ゴールとアシストを達成している。とくに、イタリアでは名門ACミランに所属し、背番号10を背負った。

日本代表としても活躍し、アジア人初となるW杯3大会連続アシストを達成。また、日本人初となるW杯3大会連続ゴールを達成しアジア人のW杯最多得点を更新した。ルディ・フェラー、デイビッド・ベッカムらに続くW杯3大会連続となる得点とアシストの両方を記録した史上6人目の選手となり、32歳11日でのゴールは日本人のW杯最年長ゴールとなった[3][4]。FIFA選出のW杯の「マン・オブ・ザ・マッチ」数において日本人最多の「4回」受賞し、ミロスラフ・クローゼ、エデン・アザール、ハメス・ロドリゲスらと並び受賞総数5位である[5]。

2010年には南アフリカW杯やCLでの活躍が評価され、日本人選手として小野伸二(2002年)以来2人目となるUEFAチーム・オブ・ザ・イヤーにノミネートされた[6][7]。

指導者としても現役選手ながら実質的なカンボジア代表GM・監督に就任。また、自身がプロデュースするサッカースクール「SOLTILO FAMILIA」を日本全国で開校[8]。

経営者としても複数のプロサッカークラブの実質的オーナーを務めている[9]。

投資家としてはウィル・スミスと共同で投資ファンド「ドリーマーズ・ファンド」を設立[10]。

本田圭佑の名言・座右の銘

オレの人生は挫折の連続なんです。
でもそこからはい上がろうとして、未知の世界を知ることもある。


オレは神様はいると信じてる。
今まで、オレが苦しんでいる時、必ず神様は後でご褒美をくれた。


「現実を認めたくない」自分がいて「現実を受け入れろ」という自分もいる。
現実を認めなければ、今を生きることができないですから。


ちょっと大げさ過ぎるぐらいでいい。
実際にプレーするとなるとそこまでできないのが人間だから。


頭の中ではメッシやクリスティアーノ・ロナウドを超えるプレーをしている。


地位や安泰なんて考えるようだったら、今の僕はない。


まずは相手のやりたいサッカーをできる限りやる。
そのうえで自分のやりたいサッカーもやらせてもらう。


アジア杯を振り返って)自分自信に関して言えば体力を含め、いろんな能力が足りなかった。
だからいったん外へ逃げないと相手の守備陣を突破できなかった。


成長スピードがね。日本人のままじゃダメなんですよ。


俺なんて全然、天才タイプじゃないし。
それで才能がないから諦めろなんて言われたら、どんだけの人が一瞬で諦めなきゃあかんねん。


僕は毎日、こうなりたいというイメージを頭のなかに描いている。
でも強い相手と1試合すると、そうやってイメージする以上に明確になりたい自分の姿がはっきりと見えてくる。


一年後の成功を想像すると日々の地味な作業に取り組むことができる。


勝負を決めるのは準備。
なかでも気持ちの準備以上のものはないと思う。


挫折は過程、最後に成功すれば挫折は過程に変わる。
だから成功するまで諦めないだけ。