ジェームズ・クックの略歴

ジェームズ・クック(James Cook、 1728年10月27日 – 1779年2月14日)は、イギリスの海軍士官、海洋探検家、海図製作者。通称キャプテン・クック (Captain Cook)。 一介の水兵から、英国海軍の勅任艦長(英語版) (Post-captain) に昇りつめた[1]。
太平洋に3回の航海を行い、オーストラリア東海岸に到達、ハワイ諸島を発見し、自筆原稿による世界周航の航海日誌を残し(第2回航海)、ニューファンドランド島とニュージーランドの海図を作製した。史上初めて壊血病による死者を出さずに世界周航を成し遂げた(第1回航海)。
10代を石炭運搬の商船船員として過ごした後、1755年に英国海軍に水兵として志願し、七年戦争に加わった。船員としての能力を認められたクックは1757年に士官待遇の航海長(英語版)に昇進し[2] 、英国軍艦Solebay号の航海長として、セントローレンス川の河口域を綿密に測量し海図を作成した。クックの作成した海図はウルフ将軍のケベック奇襲上陸作戦(1759年)の成功を導き、クックの存在は英国海軍本部と英国王立協会に注目されることとなった。クックは南方大陸探索の命を受けて、英国軍艦エンデバー号を指揮し、1766年に第1回航海に出帆した。
クックは多数の地域を正確に測量し、いくつかの島や海岸線をヨーロッパに初めて報告した。クックの幾多の偉大な功績をもたらしたのは、卓越した航海術、すぐれた調査と地図作成技術、真実を確かめるためには危険な地域も探検する勇気(南極圏への突入、グレートバリアリーフ周辺の探検など)、逆境での統率力、海軍省の指令の枠に納まらない探検範囲と気宇の壮大さ、これらのすべてであったと言えよう。また壊血病の予防に尽力し表彰されている。
第3回航海の途上、ハワイ島で先住民との争いによって1779年に落命した。
かつてニュージーランドで発行されていた10シリング(1940年 – 1955年)、5ポンド・10ポンド紙幣(1956年 – 1967年)に肖像が使用されていた。

ジェームズ・クックの名言・座右の銘

誰かに「ダメだ」と言われたとしても、それは最初の1歩にすぎない。習得しなければならないのは、その「ダメだ」と言うことばに打ち勝つことだ。